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言語療法士 地頭所孝子先生

泉佐野人権文化センターにて、地頭所孝子先生(言語療法士)から『地域とのかかわり』というテーマで講演会がありました。
メリーゴーランドさん主催で、おんりーわんの会員も参加させていただきました。
内容を簡単にご紹介します。

地頭所先生のお話はいつも『脳の仕組み』に関することが盛り込まれています。
正直、この『脳』の話がけっこう難しく、煩悩でいっぱいのはじいち@管理人の頭では、理解できない事もしばしば(笑)
以下に『脳』の話を絡ませながら、この日の公演内容を、私なりに解釈してご紹介したいと思います。

9歳までの育て方
 
このテーマもいつも地頭所先生のお話の中に出てきますよね。
9歳までに人の脳が大人と同じ役割を担うまでに成長すると言うお話です。
人の感情は最初生まれたときは"快・不快"といった、非常に本能的なものが主体です。
それがやがて、怒り、喜び、悲しみ、楽しみ、と本能的な部分がより複雑になり、脳が成長していくわけです。
その、脳が大人とほぼ同じくらいまでに成長するのが9歳前後だそうです。
脳はその働きが複雑で"目でものを見る"とか"手足を動かす"といった目的別に脳の使ってる部分が違うのです。
 
"脳が成長する"というのはいったいどういうことでしょうか。

本能ルートと思考ルート

まず、最初の生まれたばかりのとき、私達はほとんど"快・不快"だけを感じ、本能のままに行動しています。
それは脳の中の"神経伝達系統"が未成熟だからです。
未成熟なうちは"本能ルート"という神経伝達系統をたどって物事を考えていますが、成熟してくると"思考ルート"をたどっています。

本能ルートの例
のどが渇いた(不快)→目の前のお茶を見つける(視野)→飲む(運動)
この場合、目の前のお茶が誰のものであるのかといったことは考えず、ほとんど本能のままに、のどの渇きを潤そうとしています。
神経の伝達が未熟なため、脳の部分を少ししか使っていないのです。

思考ルートの例
のどが渇いた(不快)→目の前のお茶を見つける(視野)→
お茶は自分のものかどうか考える(思考)→どうやら他人のお茶らしい(推理)→ちょっと分けてもらおう(決断)→『お茶を分けてください』と言う(言語)→飲む(運動)
この場合、本能ルートとは違ってかなり複雑な経路をたどっている事になります。 
この時"思考、推理、決断"というのは脳の中の”前頭連合野”という部分を使っているそうです。
脳の場所で言えばおでこに近い部分です。
この"前頭連合野"の発達を促すことが、生活をしていく上でとても重要な事のようです。 

前頭連合野が発達していないとどうなるのか?
まず、行動に感情が伴いません。挨拶を例にとってみましょう。

Aちゃんの場合
近所に人に出会う(視野)→挨拶をする(運動・言語)
 
Bちゃんの場合
近所に人に出会う(視野)→『ここで私が挨拶をすれば近所の人が喜んでくれるかな』と考える(推理)→『挨拶をしよう』(決断)→挨拶をする(運動・言語)

一見、AちゃんもBちゃんも『ちゃんと挨拶が出来ている』という風にみえるでしょう。
しかし、この背景には意外な要素が絡んでいます。
Aちゃんはいつも周りの大人から『近所に人に会ったら挨拶をするのよ』と教えられてきました。それはとってもよいことで決して間違ってはいません。
しかし、Aちゃんは『挨拶をしなさい』とは教えられても
"挨拶すると相手はどんな気持ちになるのか"
"挨拶するということはどういう意味があるのか"
などといった事は周りの大人から学んでいないのです。
そのため、一見挨拶が出来ているように見えても感情が伴わず、
いつまでも相手の気持ちを推し量ることができません。
挨拶をしているのは一種の条件反射のようなものです。
 
Bちゃんはいつも周りの大人から『近所に人に会ったら挨拶をするのよ』と教えられてきました。
それと同時に『挨拶をすると相手の人が嬉しい気持ちになるんだよ』、『Bちゃんもお友達に挨拶されると嬉しいよね』ということも教えられ、挨拶の経験を重ねる事により、感情の経験も重ねていく事になります。
そのため、挨拶には感情がこもり、他人の気持ちを推し量る事を身を持って学んでいくのです。

この二つに事例は極端で、読んでるかたの中には、『ちょっと違うような気が…』と思われる方もあるかも知れません。
しかしここで重要なのは『我が子に何か物事を学んでほしいとき、近道をせず、どれだけ手をかけられるか』ということなのです。

挨拶の例をとってみても、Aちゃんはただ『挨拶しなさい』と教えられるだけです。たいていの子供はそのやり方で挨拶できるようになるため、教える方にとっても楽なのです。
しかし、Bちゃんのように教えるのは時間も手間もかかります。
ですが、この手間をかけることこそ"前頭連合野"の発達を促すことに繋がると言うわけです。
 
Bちゃんは挨拶の経験のたびに前頭連合野を使うため、神経の伝達(パイプライン)が太くなっていき、結果的にもっと前頭連合野を使えるようになります。
すると、社会性やコミュニケーションといった生きる力がつくのではないでしょうか。

この手間をかけることを9歳になるまできちんとやってあげると、
成長の仕方がずいぶん違ってきます。もちろん9歳以降も大事なのですが、また違った工夫が必要になります。

はて?講演会のテーマは『地域とのかかわり』だったはず。どこにその話が出てきたのやら・・・
地頭所先生の話が奥が深いと思うのはこういうときです。
 
先生から今回いただいた資料の中に、ちゃんと『地域とのコミュニケーション』と記述された部分があります。そこを読みすすめると、少しだけ分ることがありました。

地域活動は自分に50%、相手に50%のバランスの連続
自分が何か相手にしてもらった時、(相手→自分へ100%)
『ありがとう』と感謝の気持ちをあらわす。(自分→相手へ50%)
相手に自分から何かしてあげた時、(自分→相手へ100%)
『ありがとう』と感謝される。(相手→自分へ50%)
 
このバランスの連続がコミュニケーションだと先生は考えていらっしゃるようです。
このバランスを保つには相手の気持ちを想像したり、分ろうと努力する事が必要です。
そこで"手間ヒマかけた育て方"をすすめておられるのでしょう。

おわりに

さて、他にもいろいろお話はあったのですが、今日は以上のようにまとめさせていただきました。
これらはあくまで私の解釈であり、講演を聴いた方の中には
違う解釈をされた方もおられることでしょう。
 しかし、私のこの解釈を読んでくださった方が、『ここは私の意見と違うなぁ』ここは良く似ている』と考えることもコミュニケーションの一部だと私は思っています。

みんな違ってあたりまえ。
障害児を子供に持つ親も、そうでない親も、そういう考えが頭の片隅にあるだけで子供は成長し、自律(自立ではなく)していくのではないでしょうか。
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【2004/06/24 15:48】 | 講演会
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